述井庸治に

『永遠の別れ』

 何もする当ての無い私は、妻の勧めで彼女の故郷である荏原町にやって来た。
私はこの町がとても気に入った。都心にありながら高層ビルがない。また銀座、渋谷などのビッグタウンに30分で行ける。活気溢れる商店街もあり、緑も多い。町を歩くと、私を知る人達が気さくに声をかけてくれる。そして何よりも恋人(レゴブロック)と別れた傷心の私を優しく迎え入れてくれた。
私はこの町に住むことを決めた。そして英会話スクールを開業したのである。

 私が初めてデンマークでのレゴ国際会議に参加したのは36歳の時、日本レゴ社のマーケティング責任者として出席した。会議は全て英語で行われる。しかし、会議で私の英語はまったく通用しなかった。
学生時代、英語は私の得意科目、しかしその英語がまったく歯がたたない。まず、喋れないので話し合いに参加出来ない。また、配られた資料も日本語に訳しているため、頭の中で日本語と英語が喧嘩している。私が今迄学校で習ってきた英語は一体何だったのか?
私はその時から、自分の英語を読めて書けて話せる「実践英語」に変えていった。
日本にいて日本語が出来なければ、日本で暮らしていくことは出来ない。同様に、世界に出て世界語(英語)が出来なければ、世界で活躍することは出来ない。英語を勉強するとは、自分の土俵を日本から世界へ広げること。英語を教えるとは生徒達を、世界という大舞台に立たせてあげること。
「そうだ、私の『実践英語』を教えよう」
そして、私は英会話スクールを始めた。

開業して2年、生徒も少しずつ増え、スクールが休みの日曜日、私は銀座へ買い物に出かけた。銀座四丁目のあたりを歩いていると、1人の女性が私に声を掛けて来た。
「述井さん?」
見ると日本レゴ社で事務をしていた女性。
「やあ、久しぶり。お茶でも飲まない?」


 私は日本レゴの現況が知りたく彼女を喫茶店に誘い話をしていると、彼女が思い出したように私に言った。
「述井さん、重盛さんご存じですよね」
「うん、もちろん。今、彼どうしてる?」
すると、彼女は答えた。
「重盛さん、亡くなりましたよ」
「えっ、なんで?」
と、言いながら私の目からなぜか涙が溢れてきた。彼女の話によると、重盛はカード会社を辞め自分の会社を設立した。彼の会社は日本人を留学生として海外に送り出すビジネスをしていた。商売は順調だった。しかし、バブル崩壊時、会社は経営難に陥り彼は毎晩のように酒を飲み歩いた。そして、最期は肝臓ガンで此の世を去ったという。
その後、私はどうやって家に帰ったか分からない。覚えているのは帰りの電車の中、重盛との色々な思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡っていたことだ。